個とうんこ
会社の個室で用を足していると、左右から、力む声、排泄音が聞こえる。ふと思うと何故この薄壁一つ挟んで、扉の上下に隙間があるこのガバガバな個室の中で 我々は当然のように一緒にうんこをしているのか。
いつからだろうか、僕らが周りを気にせずうんこができるようになったのは。
ハッキリと覚えている限り、小学生のときには学校でうんこは出来なかった。学校でうんこをしようものなら、個室から出てきたのを見られようものなら、その日は完全に晒し者である。僕はいつもうんこを我慢し、帰宅していた。友人に悟られないように、それでも石蹴りの石を用水路に落とさないように。
中学、高校はどうだろうか。この時期に関しては正直どうしていたか覚えていない。あれ、うちの学校って個室あったっけ、と考えてしまうレベルだ。微かに思い出せるのは保健室の前にあった綺麗な個室は使っていたような覚えがある。
大学に関しては、学部の校舎のトイレがそこまで綺麗でなかったので、隣の学部のトイレまで行っていたのを覚えている。立派にうんこができるようになったのは大学時代からなのかもしれない。
学生時代にうんこを恥ずかしがるのは「xxxがうんこをしていた」という、個とうんこの紐付けがされてしまうからである。人間である以上、排泄行為は避けられないのだが、精神的に幼いときには個とうんこを紐付けてしまい、うんこに対するネガティブイメージが個に結びつくことによって、誂われる対象となったり、うんこをすることへの恥ずかしさに繋がるのである。
そんな僕らも精神が成長すると個とうんこを別々に考えることができるようになる。個室は互いにブラックボックスで密室であり、そこで自分がうんこをしたとしても、他人がうんこしたとしても、ブラックボックスの中で行われていることであり、全く意識をしないのだ。
しかし、小を足しているときについでに屁をこくのは恥ずかしいと思ってしまうのだが、それは同じく小を足している他人から、「屁をこいている私」すなわち「個とうんこが繋がった状態の私」を見られるのが恥ずかしいからなのかもしれない。
それを踏まえると個とうんこを分けて考えるのに役に立っているのは個室であり、個室の存在の有り難さを再度認識した、そんなところで、ウォシュレットの水圧に私の考えは中断された。
- 作者: 藤田紘一郎
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2013/06/10
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